同じ仏教を読んで、別の場所に立つということ
かつて同じ袈裟を着て、同じ経典を声に出して読んでいた人がいます。年月を経て、その人とわたしは、仏教というものについて、もう同じ場所には立っていません。
不思議なのは、その分かれ目が、知識の量でも、信仰の厚さでも、宗派の違いでもなかったということです。すなわち、どれだけ多くを学んだか、どれだけ深く信じたかの問題ではないということです。
そうした「程度」の問題であれば、話はまだ余地が残っていました。けれども実際の分断は、もっと一点に絞られた、構造的な分岐にありました。たった一つの問いに、別々の答えを出した。それだけのことで、立つ場所が変わってしまったのです。
その問いとは、こういうものです。
どの経を中心に置くか、どんな儀礼を重んじるか、何を唱えるか。こうした、表向きの対立はいくつもあります。現存している仏教の分派が顕著な例です。
しかしそれらは、すべてこの一点から下流に流れ出したものにすぎません。源にあるのは、師の死をめぐる、たった一つの態度の分かれ目です。
不在を引き受ける、という答え
最初期の教えに立ち返ると、師は、生まれ、老い、病み、そして滅した一人の人間として描かれます。最後に遺したとされる言葉は、おおよそこうでした。
ここでは、無常という法則は、師その人にも容赦なく適用されます。覚った者であろうと、滅びる。あとに残るのは教えだけであり、その教えは祈る対象ではなく、生きて確かめるべき道筋でした。
不在は、埋めるべき欠落ではなく、引き受けるべき事実だったのです。
滅びない師、という答え
ところが、もう一つの読み方は、まったく逆の方向に振れます。
そこでは、師の死は見かけにすぎない、とされます。師ははるか久遠の昔にすでに覚りを完成させており、いまも変わらず在り続けている。
死という、誰の目にも明らかな出来事を、「現れ」として読み替える。ここで師は、過去の人物ではなく、現在も働き続ける生きた存在になります。
なぜ、これが根本の分岐なのか
一見すると、これは細かい教義上の差に見えるかもしれません。しかしここにあるのは、仏教という建物全体の重心を決めてしまうほどの分岐です。
問いを一言に煮詰めれば、こうなります。
組み立てられたものはすべて滅びる、というのが出発点でした。では、その法則を説いた当人は、法則の外に出られるのか。「出られない」と答えれば、師もまた滅び、あとには言葉の断片だけが残ります。
実践とは、その教えを自分の足で確かめ、自分を灯火として歩むことになる。「出られる、あるいは初めから外にいた」と答えれば、師は滅びず、いまも見守っている救い手として残ります。実践とは、その生きた師との関わりに、信をもって入っていくことになる。
同じ一点から、二つの完結した世界が枝分かれします。
供養の意味も、信の重さも、唱えることの位置づけも、すべてはどちらの枝を選んだかによって、おのずと定まってしまう。だからこの分岐は、数ある相違の一つではなく、あらゆる相違が始まる源なのです。
もう一方の枝の、確かさについて
誤解のないように言えば、滅びない師という読み方は、きわめて切実な人間の問題に対する一つの答えです。師の絶対的な不在は、残された者にとって、ときに耐えがたいものです。
拠り所が、もう二度と応えてくれない
その空白を前にして、「不在をそのまま引き受けよ」とだけ言うのは、あまりに厳し過ぎます。
滅びない師という読み方は、その空白に、永続的にある救い手を据えることで応えました。それは弱さではなく、不在という難問に対する、もう一つの筋の通った答えです。
かつての同僚が立っているのは、この、十分に首尾一貫した世界です。そしてわたしは、その世界を外から眺めているのではありません。
一度はその内側に立っていた立場から、その引力の強さを、身体で知っています。
いま、わたしが立っている場所
そのうえで、いまのわたしが立っているのは、もう一方の枝です。
最初期の層を哲学として読むということは、結局、この厳しさの側を引き受けるということでした。無常に例外を設けない。教えを説いた当人にも、その法則をそのまま適用する。覚った者すら滅びる、という一点から目をそらさない。
それは、もう一方が偽りだからではありません。教えそれ自身の論理に最後まで従うなら、そうならざるをえないからです。
不在を埋めずに、不在のまま引き受ける。その地点からしか始まらない思考だけを、わたしは自分の仕事として選びました。
宗教の歴史を貫く、同じ線
最後に、視野を少しだけ広げておきたいと思います。
「不在を引き受ける」か、「滅びない対象を据える」か。この分かれ目は、実は仏教だけのものではありません。それは、創始者を失ったあらゆる伝統が、必ず一度は立たされる岐路です。
一方の道を行けば、無常をめぐる一つの哲学にたどり着きます。よりどころは法則であって、人ではありません。
もう一方の道を行けば、いったん死んだように見えた創始者が、実は生きて在り続け、いまも救っている、という構造にたどり着きます。
これは、救い主を中心に据える諸宗教において、共通した骨格と輪郭です。単なる影響という話ではありません。創始者の死という同じ難問に直面したとき、人は驚くほど似た手を打つ、というだけのことです。
そう考えると、かつての同僚とわたしのあいだに走った一本の線は、二人の個人的な不和ではなく、宗教の歴史そのものを貫いている、もっと大きな分岐の、ごく小さな一区間だったことになります。
わたしたちは、たまたまその同じ岐路に立ち、そして別々の道を選んだ。突きつめれば、ただ、それだけのことだったのです。

