-
楽に生きる
思考停止とは、何が停止しているのか——社会の場面で
一人の内側の連鎖は、社会の風景にまで広がる。『蜜丸経』が語る妄想から論争への連続を手がかりに、SNS的な対立の構造を見直します。 -
楽に生きる
思考停止とは、何が停止しているのか——個人の場面で
朝スマートフォンを手に取る場面を現象として観察する。初期仏典『蜜丸経』の触から妄想への連鎖が、わたしたちの日常に重なる様子を描きます。 -
仏説
「いま」にある厚み
宮澤賢治『春と修羅』を現象学と初期仏典の双方から読み解いた前回記事を起点に、両者が見つめている同じ現象へと踏み込みます。把持と無常、そして「わたし」とは何かという問いを、メロディを聴く経験から考えます。 -
自己紹介
ブログについて——最終改訂版
このブログの指針を改めて書き直してみました。仏像や宗教の枠に封じ込められてきたお釈迦さまの思想を、現代の言葉で問い直す。初期仏典を手がかりに、人が生まれ持つ苦しみと向き合うライフワークについて綴っています。 -
楽に生きる
宮澤賢治『春と修羅』に見る、この世の揺らぎ
宮澤賢治『春と修羅』から、この世の見え方と「わたし」の揺らぎを読み解きます。風景、苦しみ、縁起が交差する詩の世界を考察してみます。 -
雑記
現象学と初期仏典から宮沢賢治『春と修羅』序を読む
宮澤賢治『春と修羅』序の「わたくしといふ現象は」を、フッサールの現象学と初期仏教の縁起・無常の思想から読み解きます。「明滅しながらともりつづける」灯りとしての自己像が、100年後のわたしたちに語りかけるものとは。 -
雑記
「みんなのため」がうまくいかないのはなぜか——集合行為問題
「自分一人くらい大丈夫」がなぜ全体を壊すのか。社会科学の「集合行為問題」を、初期仏典の無我・縁起・三毒の視点から読み解きます。制度設計だけでは届かない、「自分とは何か」を問い直す必要性を論理的に考察してみます。 -
雑記
消えていった風景
効率化と情報の嵐が「生老病死」をブラックボックス化し、すでに生きてきた人の「生きる手触り」さえ奪っていく。万能感の空気と注意の収奪を見つめ、出口の糸口を探ってみました。 -
楽に生きる
一直線に進む時間
「欲望」と「直線的時間観」を見直し、「何者かにならねば」という重圧からの解放を提示してみました。生老病死と向き合うための、立ち止まる哲学を考察します。 -
楽に生きる
なぜ「自分らしく生きる」は苦しさを生むのか
2010年代に広がったアドラー心理学は「自分の価値観で生きる」視点をもたらしました。この目的論を補うように発達してきたSNSは、比較や承認の循環を強めてしまっています。本記事では、目的論の限界と、「こころの働き」を問い直す必要性を考察します。
