近視眼とこころ

はじめに

わたしはひどい近視です。乱視も少し入っています。度の強いメガネをかけていても、遠くを見定めるときは目を細めるほどです。

そのため、昔から人の顔を覚えられません。知ったふりして誤魔化し挨拶すること度々です。

年齢を重ねてくると、目を正常な状態にすることはもはやできませんが、こころで見ることに関しては、長く修練してきたつもりです。

今回、お話しするポイントは、視覚情報だけで人を見る、いわゆる色眼鏡的な癖は、誰のこころにも巣くっているということです。

今回は、そんなようなお話しをしたいと思います。

目の退化

自身の目については、その弱さを幼い頃より知っていたにもかかわらず、よせばいいのに、IT業界で目を酷使していたため、目の機能ばかりか、保持する力さえ失いました。そのため、ディスプレイを少し見るだけで頭痛に見舞われてしまいます。

若い頃は自動車が好きで、いろいろなタイプの車を運転していましたが、目を保持する力を失ってくると、車の運転さえ困難になってきました。

車が運転できる時間は、せいぜい20分。距離ではなく時間です。そのため、仕事の関係者からは、なぜ来られないのかと誤解を与えることもありました。この目に関しては、なかなか周囲の理解を得られないのが苦しいところです。

画像はイメージです。

といって、無理に目を使うととたんに体に影響が及び、めまいから頭痛・腰痛など、体のあちこちに様々な障害を引き起こし始めます。

目を補うため

わたしが出家してしばらくすると、物腰や雰囲気等から、数百メートル先から誰だかわかってくるようになりました。目に見える以上の情報が、第六感で感知できるようになったからです。

オーラと言えばたいそうでおしゃれですが、オーラではなく、視覚に頼らなくても、人を判別できるようになったことは幸いでした。

そんなようなわけで、目には頼れないために、何となく見える形とその人の雰囲気から、今でも人を判別しているわけです。

色眼鏡でみるこころの闇

ものをはっきりと見ることができないのは苦痛です。

何よりも損することが多く人に会うこともおっくうになってしまいます。正直、雰囲気でものを判断していると人違いをすることもあります。これは、こころにも同じことが言えます。

自分のこころを近視眼や色眼鏡で見ていることは、人のことも同じような目で見ていることです。

誰のこころにも衝動的な闇があって、その闇の中で観る癖がついている

人と会う機会の多い仕事、特に不特定多数の人と会う仕事では、人の本性がぼやけていたり色眼鏡でその人を見ていては損をしてしまいます。

まとめ

自分のこころの癖を把握し、こころの近眼や色眼鏡を修正していきましょう。そうすると、自分に及ぶ危険を感知できるようになるし、良いアイデアなどがふっと浮かぶことさえあります。

近視眼的な傾向というは、こころにもあるということ

物事を近づいて見過ぎると、大局を見失ってしまいます。また、色眼鏡で物事を見ていては、人の道さえ外してしまう危険性もあります。

わたしに関して言えば、目が見えない分、こころの目を通して気付かされることが多いと感じています。

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