仏説– category –
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(わたし)から「わたし」へ
( )付きのわたしとは何か。わたしを巡る考察の一般論です。 -
「仏教」として果たせなかったこと
この世界の仏教では、修行は信仰の先にあります。ところが、信仰とは、お釈迦さまの思想とは真逆の方向にあるのです。宗教とお釈迦さまの思想との関係を考察してみました。 -
仏説の本質
仏教が宗教化して数千年。わたしたちは、仏教の本質を見通せない現状に気が付いてもいません。如何にこころにお釈迦さまの言葉を認知させることが出来るかで、二世の行く末が左右されます。 -
老病死
生老病死は、お釈迦さまも修行の際取り組んだ人の性です。数々の書籍や動画で克服法や思い方の解説がなされています。本当に、その解決法はあるのでしょうか? -
無我-muga
「無我」とは、分かり難いこともあってか、お釈迦さまの教えの中でも論考の多い項目です。論述する必要性を感じているわけではありませんが、わたしが感得したことを書いておきたいと思いました。 -
縁-en
縁とは、わたしたちを取り巻いている目に見えない繋がりです。個々からはじまり、さながら血液のように循環しながら人を生かしている不思議な要素です。 -
[文字]で残されたもの
お釈迦さまの思想は資料としてたくさん残っています。これら思想を文字として残すことについて考察してみました。 -
仏教と時間
忙しない現代では、常に結果や効果を求めタイパを求めています。仏教は宇宙やミクロの世界をも表わしている時間の概念を内包しています。そんな現代にあって、時間と仏教の関係を考察してみました。 -
仏教とはいったい何なのか?
現在インドでは仏教はヒンズー教に取り込まれ、聖地を含めてその管理下にあります。ヒンズー教と日本の曖昧な宗教観はとても近く、鎌倉時代から続く日本における仏教も、実はインドでのヒンズー教下の仏教と似たような状況下にあるのではないかと思っています。 -
原罪と罪障
「ノアの方舟と三界の火宅」に続いて、キリスト教の概念とともに法華経の罪障という言葉に迫ってみました。
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