確定できる未来 ― 縁の働き

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はじめに

表題だけを見ると、ビジネス啓発系書物のように誤解されそうですが、ここで語る未来に関する考察は、わたし自身が経験的に学んできた結論です。

誰しも「未来は不確定なものだ」と考えているでしょう。しかし、長年の経験を経て、確定している未来もあるのではないかと思うようになりました。「身もふたもない」「やる気が削がれそう」と感じる方もいるかもしれません。

とはいえ、未来のすべてが予め決まっているわけではありません。安心してください。確定する一部の未来には、人の意志が関わっています。

わたしが体得した意志の持ち方は、誰かに教わったものではありません。敢えていえば龍神からだと言えますが。僧侶時代の祈祷での「念の持ち方」から学んだ経験をもとにしています。

言葉としては「意志」としていますが、視点を変えれば「思考法」と言ってもよいかもしれません。ここは、都合の良い言葉に置き換えていただいて構いません。

今回は縁を自分でコントロールしていき、未来の未定を確定に変えていく一説を考察したいと思います。

意志とは

まず、意志の一般的な意味を調べてみましょう。

どうしても、これをしよう、またはしまいという積極的な心ぐみ。「―が強い」「―薄弱」。強いはっきりした意向。
~Oxford Languages

「心ぐみ」という表現が興味深いですね。意志に至る前には、まず意向があります。一般的には、意向が強まったものが意志と認識されます。

そのため、「自分を変えられないのは意志が弱いからだ」という思い込みが生じることがあります。人は、実現したい未来の自分を想うとき、意識を集中して意向から意志へと転換しようと努力します。祈念の行為も、その象徴と言えるでしょう。

画像はイメージです

しかし、わたしが体得した意志の持ち方は、決して「意志の強さ」だけに依存しているわけではありません。むしろ、集中していない、ぼんやりと考えている状態の中にこそ、意志が自然に宿ると感じています。辞書でいう「心ぐみ」という表現が、この感覚に近いのかもしれません。

核となる信念を崩さずに「何となくボーっと思っている」未来の予定を想うとき、わたしはこの心ぐみが癖になっていました。

ここには、以前の記事でも扱った縁が強く関係しています。

強く念じることよりも、何気ない日常の中で、ゆるやかに「そう在りたい」と思うとき、わたしを取り巻いている目に見えない縁は未来に微細な波紋を描きはじめます。

未来は、わたしたちの「生き様」によって絶えず形を変えていきます。そしてその生き様は、何よりも「こころのあり方」から生じています。

それは意志や念といった力ではなく、縁が起こす波です。

こころが生き様をつくり、生き様が縁を生む

ブッダの思想にある「縁起」とは、あらゆる存在が相互に依りあいながら生まれては滅するという法則です。人の全てがこの縁で出来上がっていると言っても過言ではありません。

けれども、その縁の結び方は、決して他人事ではありません。それは、わたしたち一人ひとりの「生き様」によって変化していくのです。

画像はイメージです

縁とは、偶然に訪れるものではなく、その人のこころが放つ響きが世界に触れて生まれる“応答”です。生き様がこころから発し、こころが縁を導き、縁がまた未来のかたちをつくっていく。

こうして、未来とは「生き様の鏡」として、今ここに息づいています。

未来は、縁の網の目の中にある

未来は、固定された一点ではありません。それは無数の縁が交差する網のようなもので、どの糸を震わせるかによって、全体のしくみが変わります。

人がどのような心ぐみで生きるかで、縁の網のどこかに微かな動きを与えます。そして時が経ち、偶然という名の必然の中で、その波紋がひとつの出来事としてあらわれる。

この意味で、未来とは「意志によって作られる」のではなく、こころが縁を通じて共鳴する世界の現れなのです。

意志とは「こころの方向」

一般に意志とは「強く念じる力」と思われがちとは前節で触れました。本来の意志とは「こころがどちらを向いているか」という静かな方向性にほかなりません。

強く集中する必要はありません。むしろ、核となる信念を保ちながら、ぼんやりと「こう在りたい」と感じているとき、こころはすでに未来へ向かう縁を紡ぎはじめています。

これは努力というより、存在の姿勢のようなものです。そしてその姿勢こそが、生き様をかたちづくり、やがて縁を通して現実の流れを変えていきます。

念の静寂 ― 「なる」ことと「在る」ことの一致

縁に生じた波紋を確定させるためには、こころのあり方がキーになってきます。

祈祷の場でわたしが学んだのは、念とは「今に在るこころ」のことでした。それは過去を悔やまず、未来を焦らず、ただ現在のこころを澄ませておくということ。

この状態を保つことはとても難しい。しかし、ここに神々は感応道交1してくるのです。

念が澄み渡ると、こころは次第に心ぐみへと変化していきます。「こうなりたい」という思いは、やがて「すでにそう在る」という確信へと変わります。

縁が紡ぎ出す空間には時間が存在しません。神々を含めた時間が存在しない世界では、この意識が重要です。その確信が縁を動かし、未来の方が、静かにこちらに近づいてくるのです。

ここに清浄な人のこころが重なれば、関連する縁は消え結論となって現れてきます。

未来はこころの映し鏡

未来は、意志の力で押し動かすものではありません。それは、わたしたちの生き様が織りなす縁の網の上に、自然に現れる模様のようなものです。

生き様が変われば、縁の結び方が変わる。縁が変われば、未来もまた新しい姿を見せる。

欲の引力から来る未来の姿は芽の出ない荒野のようなもの。こころが穏やかであるとき、未来もまた穏やかに広がります。

この意味で、未来とは時間の先にある出来事ではなく、いまこの瞬間のこころの在り方が結ぶ因果の延長なのです。

おわりに

未来を恐れず、また未来を掴もうと焦らず、いまこの瞬間のこころを正しく整えて生きること。それが最も確かな未来への祈りです。

縁は生き様によって変わり、生き様はこころの在り方から生まれる。

意志とは、この流れの中に静かに立つ“こころの姿勢”です。力強く叫ぶ必要はありません。たとえボーっとしていても、正しく在り、穏やかに歩んでいさえすれば、望む未来が確定していきます。

その生き様こそが、未来を変えるほんとうの意志なのです。

  1. 神といった高次元の存在と人(衆生)の心が相互に通じ合い、響き合うこと ↩︎
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