ふたりの兄

目次

はじめに

わたしには、ふたりの兄がいます。

ひとりは父親の異なる一番目の兄で、わたしより二十歳ほど年上。
もうひとりは実の兄で、わたしとは十歳前後離れています。

先日、その一番目の兄が八十一歳で亡くなりました。男性としては大往生と言ってよいでしょう。
わたし自身の寿命については、サムシンググレートから「八十には届かない」と伝えられており、その意味でも兄の生き切り方には頭が下がる思いがします。

一番目の兄の父親は、わたしの父とは異なり、第二次世界大戦中に韓国で戦病死した陸軍中佐でした。
その後、母はわたしの父と再婚し、わたしを含むふたりの男の子が生まれました。

同じ母から生まれながら、父も性格も人生もまるで正反対だったふたりの兄。
今回は、その歩みを少し振り返ってみたいと思います。

ふたりの兄の人生

一番目の兄

一番目の兄は、書類上こそ中学卒業ですが、ほとんど通学していなかったようです。学校という場が合わなかったのでしょう。

父の紹介で、地元の電気工事会社に就職しました。
閉鎖的な土地柄にくわえ、中卒で「コネ入社」という立場もあり、社内ではずいぶんと辛い思いもしたようです。

それでも兄は、黙々と働き続け、定年まで勤め上げました。
決して高給ではない中から家を建て、二人の娘を育て上げたその姿は、
彼の「こころの強さ」と「辛抱」の賜物だと、わたしは思っています。

年を重ねてからは会う機会こそ減りましたが、兄が声を荒らげる姿を、わたしは一度も見たことがありませんでした。

最期は、多くの孫たちに囲まれ、ひとりひとりに挨拶を済ませ、眠るように息を引き取ったと聞いています。
彼らしい穏やかな幕の引き方でした。

実の兄

一方、二番目の兄(実の兄)は大学を卒業し、外資系製薬会社に就職。
営業成績はトップクラス、支店長にまで昇進しました。

しかし、恵まれた待遇に慢心したのか、酒と女に溺れ、やがて贈賄事件で起訴され、転落の人生が始まります。

その兄の姿を象徴する出来事があります。

あるとき実家に帰省した際、兄は、自らの不倫を取り繕うかのように、他愛もない口論をきっかけに妻を叩きました。
その様子を見ていた幼い次男が、涙目でわたしの方を向き、

喧嘩を止めて!

と助けを求めるように訴えてきた場面を、今でも忘れることができません。

その後も兄は、妻と二人の子どもたちはもちろん、わたしや老いた両親をも巻き込み、長く家庭に暗い影を落とし続けました。

長男は不安定な家庭環境の中で心が揺れ、学校にもまともに通えない時期がありましたが、少ないチャンスをつかみ、今では二児の父として立派に暮らしています。
一方で義姉は、重ねた苦労が祟ったのか、七十歳を迎える前に亡くなりました。
最近知ったところでは、兄は長男とも疎遠になり、孫に会うこともないようです。

ひとりの心の大きな乱れは、その本人だけでなく、家族や周囲の人々の人生をも巻き込み、長く狂わせてしまいます。
当時のわたしには、兄に向けられた「早く変わってほしい」という周囲の悲痛な思いが痛いほど伝わり、ただただやりきれませんでした。

目に見えない世界から見たふたりの兄

一番目の兄

少し唐突に聞こえるかもしれませんが、わたしは一番目の兄について、前世の行いが良かった人だと感じています。

それを強く意識した出来事がありました。

兄が七十代に入り、原因不明の体調不良に長く悩まされていた頃のことです。
どの病院に行ってもはっきりした診断は出ず、起きては伏せる日々が続いていました。

当時すでに出家していたわたしは、たまたま兄の地元で行われる住職の講演会に招待しました。
兄は話に耳を傾けるうちに、ふと身体が軽くなったと言い、その後、嘘のように体調が回復していったのです。

邪教の勧誘のように聞こえてしまうかもしれませんが、これは兄自身の持つ功徳と縁が引き起こした、ごく特殊な例と理解しています。

住職の話を聴くことは、仏道でいう「声聞行」にあたります。
もともと備わっていた前世からの善い因縁に、この声聞行が重なり、癒やしとして現れたのでしょう。

さらに、兄が安い給料から苦労して建てた家は、地元スーパーの拡張による立ち退き対象となり、補償を受けてローンも完済。
結果的に、より広い家で暮らすことができるようになりました(寺院とは無関係の話です)。

二人の娘と多くの孫に囲まれ、穏やかで賑やかな晩年を送れたことを思うと、総じて幸せな人生だったといってよいでしょう。

実の兄

実の兄も、わたしと同じく「血の因縁」を背負っています。
わたしの父方の祖先は、かつて九州北部で勢力を持っていた豪族でした。
その歴史の中で生じた負の因縁は、子孫にも影響を及ぼします。

二番目の兄の激しい気質や選択の偏りは、その因縁を加速させてしまったようにも見えます。

本来であれば、早い段階で自分の傾向に気づき、慎重に生き方を選び直すこともできたはずです。
ところが兄は、目に見えない世界について「自分に利益があるかどうか」という尺度でしか捉えず、本質的な関心を持とうとはしませんでした。

短気な性格もあって、周囲はいつも彼の機嫌をうかがい、
忠告の言葉は届かず、わたしが出家前に勧めた瞑想も、まったく聞き入れられませんでした。

こうして、ふたりの兄はそれぞれ、自らの心のあり方をそのまま映した人生を歩んでいきました。

龍王堂の古代蓮

おわりに

ふたりの兄の歩みを並べてみると、見えてくるものがあります。

一番目の兄は、おそらく前世からの良き功徳を持ち、今世でも愚直にこころを治め、与えられた環境の中で誠実に生き抜きました。
このような人には、「特別な修行」を説く必要はほとんどありません。すでに日々の中で修行を果たしているからです。

一方、二番目の兄は、周囲の声にも耳を貸さず、こころの暴走を止めることができませんでした。
その行方は今も案じられますが、それもまた、彼自身の選びと因縁の結果でもあります。

同じ母から生まれながら、まったく異なる二つの人生。
そこに、人の「こころ」がいかに未来を分けていくかという、一つの縮図を見る思いがします。

このふたりの兄の物語から、読んでくださった皆さんが、ご自分の生き方や心の扱いについて、何かひとつでも感じ取っていただければ幸いです。

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