この記事は特定の食品や添加物を否定しているわけではありません。
はじめに
この世には様々な食べ物が溢れています。食べ物に関連する書籍や講習会は星の数です。もっとも、最初から庶民の手に届かないところにあるから星の数なのかなと余計なことを考えてしまいます。
実際、医療は行き渡り、こんなにも栄養豊富な食べ物は彩りみどりなのに、わたしたちはなかなか健康を確立したとは言い難い現実を目の当たりにしています。

「一日30品目とはよく聞くけれど、そんなこと出来ないし現実的ではない」と思っている方がほとんどではないでしょうか。
今回は健康について、特に食べ物について考察してみました。
昭和世代の食品事情
わたしのような昭和世代は、テレビと共に育ってきたと言っても過言ではありません。その影響は多かれ少なかれ食べ物に対する考え方にも表れていると思っています。
世相を反映しながら、テレビに培われた昭和世代は、「毎日~だけ食べればよい」という一種の神話を生み出してきました。背景にスポンサーの利権があったかどうかは定かではありませんが、万能食材を求める傾向は、未だ根が深い呪縛です。
バブル景気の中、「24時間働けますか?」のCMの謳い文句と共に、砕け散っていった昭和の労働者たちを中心にした世代は、「忙しさは正義」とばかりに、自分を造る大切な食べ物にさえ時短、コスパを求めていきました。高齢化と共に弱まってきたとはいえ、気持ちの何処かにこの風潮が宿ってしまっているのではないでしょうか。
バナナ、ヨーグルトをはじめ、異国の珍味など、これまで数々の食材が、テレビ放送翌日のスーパーの棚から姿を消していました。同時に、エポックメイキングな宣伝手法に乗って、成分をこれでもかと詰め込んだ食べ物が創り出されてきたのです。

令和の食品事情
令和の時代に入ってくると若い世代を中心にテレビ離れがおこり、食品についてもネット上にその答えを探すようになってきました。昭和世代と大きく違う所は具体的なエビデンス(証拠や根拠、裏付け)を求めることです。
人のカラダは高度なバランスの上に成り立っています。エビデンスは様々な統計とともに多岐に及んでいるので、何が正解かを導き出すのは困難です。それでも、令和のような個の時代では、「自分がいかに納得できるか」の観点で口に入れる食材を決めていくよう変わっていったのではないかと思います。
ところが、昭和の頃と同様、エビデンスを背景にした新たな万能食品を探しているようにも見受けられます。
一方で、持って生まれた遺伝的な特性や嗜好の傾向は人それぞれのため、ひとくくりに共通した万能食品は存在しません。
「甲の薬は乙の毒」とまではいきませんが、喫煙や飲酒の習慣に加えて、何を飲んでも何を食べても100歳超えてもどこ吹く風のような人がいるかと思えば、適切、適度な摂取を心掛けていても、食べただけで体調に敏感に反映してしまう人だっているのです。
食事と健康法
わたしは、健康の基本は運動も大切ですが、食べ物だと思っています。中でも、口に入れる物は足し算ではなく引き算で導かれる食事がカギを握っていると確信しています。
「食品そのものの成分」からアプローチしては仕方がありません。そこから導かれる答えは、何でも詰め込まれた科学的な物質です。食べ物ではありません。
現代の食品を見返してみればわかりますが、出来るだけ長持ちさせるための工夫と多数決で決まった味を基本として販売されています。この課題を解決させるための最も効果的で経済的な解は添加物です。ここから、現代の食品が足し算で得られる結果であることが自明となっています。

それは、自分の欲に基ずく過剰な食事習慣を、何か万能食品や万能薬の効果によって相殺できないかという偏った見方があるためです。
「ビタミンCはレモンの1000個分」をありがたがっている内は、健康への道のりはまだ程遠いと言えます。わたしは、レモン1個でさえ食べることができません。成分と言えども食べることが出来ない量を、口に入れてはいけません。
まとめ
口から入れるモノは、空気と食べ物です。この2種類の中に健康の素が詰まっているとわたしは考えています。空気、すなわち呼吸法については、以前にお話ししました。
人は昭和の時代より、足し算の食事を続けてきました。食品に含まれる成分が全て吸収されては、人はすぐに死んでしまいます。また、食べた後の始末は自分のカラダ任せでは、次第に無理が効かなくなります。
食べ物に健康へのヒントを求めるならば、引き算をこころ掛けた食事にあります。それがまだ難しそうでしたら、以下の記事を参照ください。
