木内 葉慶– Author –
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自己紹介
ブッダを哲学として読むということ
ブッダを「宗教の開祖」という枠から一度外し、日常の苦しみを見つめる思想として読み直す。哲学か信仰かではなく、ただ見ることから始まる生き方を考える。 -
思想エッセイ
「本当の意味」という罠
言葉の意味が揺らぐとき、なぜ人は「本当の意味」を求めてしまうのか。初期仏典とウィトゲンシュタインが下した同じ診断と、渇望を収益化する現代の構造を辿り、問いの組み替えという応答を提示する哲学エッセイ。 -
思想エッセイ
「家族」から「自分らしさ」まで、現代の言葉が揺らいでいるわけ
家族、幸福、自分らしさ、仏教。現代において揺らぐ言葉を、ヴィトゲンシュタインの家族的類似と縁起の視点から考察します。 -
思想エッセイ
信じることと、確かめること ── ブッダは信(信仰)をどう扱ったか
信じることには、確かな力があります。けれども、見えないものを見えないまま受け取るその構造は、こころの機微を思考の届かない場所に置いてしまう。お釈迦さまは、それを思考の領域へ手繰り寄せました。信仰の利点を認めたうえで、思考がなぜ信を生かすのか、そして概念化がどのようにその真髄を遠ざけていくのかを考えます。 -
思想エッセイ
仏説はなぜ「日本仏教」になったのか——生活のかたちと言葉の意味
法事、お盆、墓参り――わたしたちが知る「仏教」は、なぜお釈迦さまの思想とは違う姿になったのか。ヴィトゲンシュタインの生活形式という視点から、日本仏教の千年の変容を読み解き、現代を生きるわたしたちへの問いを考えます。 -
思想エッセイ
分派は、なぜ生まれたか
仏教の根本分裂はなぜ起きたのでしょうか。ヴィトゲンシュタインの規則遵守論を補助線に、分派の発生を「解釈の違い」ではなく「修行共同体の生活形式の分岐」として捉え直します。文字化された仏説をめぐる思想エッセイ、第二回です。 -
思想エッセイ
言葉が生きる場所
文字として残された仏説は、なぜ読み手によって意味が揺れるのでしょうか。ヴィトゲンシュタインの言語哲学を補助線に、口伝と文字化の違いを「言葉と生活の関係」から見つめ直します。初期仏典の伝承形式が抱えていた事情を、現代の言葉で読み解く思想エッセイです。 -
初期仏教テキストを読む
注意経済と、絶えざる連鎖
現代の情報環境は、注意を引き寄せ、反応を自動化するように設計されています。『大縁経』の連鎖を手がかりに、注意経済の構造について冷静に見つめます。 -
初期仏教テキストを読む
思考停止とは、何が停止しているのか——社会の場面で
一人の内側の連鎖は、社会の風景にまで広がる。『蜜丸経』が語る妄想から論争への連続を手がかりに、SNS的な対立の構造を見直します。 -
初期仏教テキストを読む
思考停止とは、何が停止しているのか——個人の場面で
朝スマートフォンを手に取る場面を現象として観察する。初期仏典『蜜丸経』の触から妄想への連鎖が、わたしたちの日常に重なる様子を描きます。
