雑記– category –
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無我-muga
「無我」とは、分かり難いこともあってか、お釈迦さまの教えの中でも論考の多い項目です。論述する必要性を感じているわけではありませんが、わたしが感得したことを書いておきたいと思いました。今回で108記事目となり、煩悩の数と掛けているわけではありませんが、当面の終了とさせていただきます。今後も更新などは、行っていこうと思っております。 -
2024年を振り返って
今年2024年を、ブログの記事と今後の方針と共に振り返ってみました。 -
[文字]で残されたもの
はじめに わたしたちは、さながら言葉を発するように文字を書いています。忘れずにメモったり、日々の出来事を日記に残したり、街中を見渡せば装飾された文字で溢れかえっています。 文字に記すという文化は、主流をネットへと移行しつつある今でも、わた... -
日本仏教と時間
中世日本に発展した日本仏教。中世の時間尺度と合わせて、現代における仏教の問題点を考察していきます。 -
「わたし」を取り巻く障壁
経済発展から、現代の情報化社会に至る最大の弊害は、人々の「わたし」における気持ちとこころとの乖離であるとわたしは思っています。その乖離について考察してみました。 -
仏教と時間
忙しない現代では、常に結果や効果を求めタイパを求めています。仏教は宇宙やミクロの世界をも表わしている時間の概念を内包しています。そんな現代にあって、時間と仏教の関係を考察してみました。 -
「わたし」を取り戻す
西洋文化から芋ずる式に入ってきた個人主義。ネット社会を起点にして、今やいかに情報をたくさん持ち発信するかに価値観は変化し情報主義とも言える世界が広がってきています。そんな時代において、なおさら「わたし」に立ち返って行く意義を考えてみました。 -
仏教と仏教との狭間で
わたしは大乗の寺院で出家したものの、過去生において現代の初期仏教に近い修行過程にあることを知りました。相反すると言って良い教義を内包するわたしが、日々感じていることをまとめてみました。 -
家族のかたち
親ガチャなど悲しい言葉がはやる世相から、家族のあり方を考えてみました。 -
解脱まわりのあれこれ
意識と時間という言葉から、解脱についてとりとめのないお話しをしてみました。