「病」の苦しみはどこへ向かうのか

目次

はじめに

薬局に足を運ぶと、多くの種類の薬を処方されている方々を、しばしば見かけます。
BUNや血糖値、血圧、クレアチニン、AST等――それぞれの臓器が示す数値をもとに、薬が選ばれているのです。

医薬品には、ある臓器の数値を整える一方で、別の臓器に少なからず影響を及ぼしてしまう、という性質があります。そのため、一つの数値を整えるための処方が、さらに別の薬を必要とし、結果として、薬の量が少しずつ増えていく傾向が生まれます。

近年、医療がやや行き過ぎているのではないか、という声を耳にすることがあります。西洋医学の基本にあるのは、症状に直接働きかける対処療法です。熱が出れば熱を下げ、血圧が高ければ血圧を下げる。

こうしたアプローチは、人々の健康への不安に応え、目の前の症状を和らげるための、きわめて合理的な方法です。その意味で、対処療法を中心とする現在の医療の姿は、わたしたちの不安と期待が形になった、自然な帰結とも言えるでしょう。

お釈迦さまは約2500年前、老いや病、そして死を「避けることのできない苦しみ」として定義しました。当時の「病」の苦しみとは、主に「身体的な苦痛」や「死への恐怖」、そして「思うようにならない体へのもどかしさ」でした。

しかし、2026年現在のわたしたちは、その苦しみを克服しようとするあまり、新たな罠に足を取られています。それが「病」の肥大化、すなわち「健康不安の市場化」と「過剰医療」という問題です。

今回は、「病」について、現代の課題を考察したいと思います。

不安のマネタイズ

現代社会において、病は「かかってから治すもの」から、「かかる前に怯え、投資し続けるもの」へと変化しました。これが、「健康不安の市場化」です。

画像はイメージです。

遺伝子検査、超早期発見、サプリメント。これらは「安心」を売っているようでいて、実は「あなたの体には将来こんなリスクがある」という「病の予感」を突きつけています。

こころの成長を妨げる汚れの一つに「疑(ぎ)」があります。

現代では、「自分はどこか悪いのではないか」という微細な疑念を市場が常に刺激し続けることで、わたしたちは永遠に「健康という理想」に到達できない渇愛(かつあい)の状態に置かれています。

この仕組みは、先だって記事に書いた市場経済が求める「いつまでも未完成でなければならない自己」と同じ構造です。

「病」の定義が広がり続ける社会

かつて、病気とは「日常生活に支障がある状態」を指しました。しかし現代では、数値のわずかな外れ値や、加齢に伴う自然な衰えまでもが「病」というラベルを貼られ、治療の対象となっています。

画像はイメージです。

早期発見・早期治療の旗印の下、わたしたちは常に「まだ見ぬ病」を恐れて検査を繰り返します。お釈迦さまが説いた「執着」が、現代では「健康への執着」として現れているのです。

また、血圧、血糖値、BMI。わたしたちは自分の体感よりも、モニター上の数値を信じるようになりました。数値が少しでも外れれば「病人」としてのレッテルを自らに貼り、精神的な苦悩(心苦)を増幅させています。

過剰医療が奪う「死の尊厳」

現代の「病」における最大のパラドックスは、「死なせてもらえない苦しみ」かもしれません。

過剰医療の最前線では、回復の見込みが極めて低い状態でも、延命治療が続けられるケースが少なくありません。これは慈悲のこころから始まるものですが、結果として、お釈迦さまが示した「自然の摂理としての死」を遠ざけ、チューブに繋がれたままの「不自然な生」を強いることにも繋がります。

「病を治すこと」が自己目的化し、その先にある「どう生き、どう終えるか」という哲学が置き去りにされているのが現代の病理と言えるでしょう。

ここで、お釈迦さまの思想から比較的知られている言葉を使って、その思い換え方を示してみましょう。

諸行無常と知足(ちそく)

お釈迦さまの思想からみた現代の医療を、「知足(ちそく)」と「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という視点から再定義してみます。

「知足(ちそく)」:医療の限界を知る

「足るを知る」とは、何もかも諦めることではありません。「これ以上の介入は、かえって生の質を損なう」という境界線を自覚する智慧です。 市場が煽る「無限の健康」という幻想に対し、「今の自分にとって、十分な医療とは何か」を問い直すことが、現代の病苦から逃れる鍵となります。

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」:変化を受け入れる勇気

体は常に変化し、衰え、やがて滅びます。これは「自己管理不足」などではなく「自然の摂理」です。「病」を絶対的な悪として排除(コントロール)しようとする執着を捨て、変化していく体と共に生きるという姿勢こそ、お釈迦さまが提示する「病との向き合い方」です。

おわりに

現代において「病」と対峙することは、単に病原体と戦うことではありません。それは、「健康でなければならない」という強迫観念(現代の煩悩)から自由になることです。

お釈迦さまが病の床で最後に示したのは、滅びゆく肉体を冷徹に見つめつつ、それに振り回されないこころの在り方でした。

過剰医療という過保護な檻から抜け出し、わたしたちはもう一度、自分自身の「病」と「生」の主権を取り戻すべき時が来ているのではないでしょうか。

この記事に少しでも共感出来たなら1Clickお願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキング
目次