持って生まれた稟(りん)

はじめに

皆さんの中にはプランターなどに花を植えて、その美しさを楽しんでいらっしゃる方も多いことでしょう。

花には、迷いがありません。植物とはそんなもんだとか、そんなこと当たり前だと思う方がほとんどでしょう。でも、少し考えてみてください。

花は、自分を否定することも、他を真似しようとすることもなく、自分が生まれ持ってきた使命をひたすら全うしようとします。

花の持つこの使命感、これは正に「完成された設計図」

古代蓮の花

人にも、これら花と同じように、サムシンググレートな存在から与えられた設計図があることをご存じでしょうか。今回は、誰にでも生まれながらに持ち合わせているこの設計図について、お話ししてみようかと思います。

人が生まれ持つ役割

経文の中に

彼の草木の稟(う)くる所、各々異なるが如し

~妙法蓮華経 薬草喩品第五

とあります。

人にも、花と同じように生まれ持った役割があり、それは人によって異なります

人が持って生まれた役割を「稟」という

訓読みでは、「稟(う)くる」と読むようにサムシンググレートな存在より生きる使命として授かったものです。その昔、部落の年長者や占い師のような人々が、生まれきたものの持つ「稟」を見通していました。

一方で、社会が多様化してくると、人への評価を簡潔にするために、数字を用いた偏差値などが重要視されてきました。すると、人間教育の画一化が進み、人を点数順に並べていき、その点数によって人生を決める様になったのです。

人の価値観は歪んでしまい「稟」を見通す目も、見通そうという余裕も無くなってきました。これを今更取り戻すことはできません。

失ったものは、失われて初めて、その価値がわかるものです。

寺院に訪れた少年

ある日、わたしの寺院に中学受験で2か所の進学校に合格した男の子が祖母と一緒に、どちらの学校に行った方が良いか相談に訪れました。

本人から話しを伺ってみると、どちらかの中学への進学するよりも早い段階からパイロットの道へ進みたいが、周りの賛同が得られない。本人の中では、そのことがまだ燻っていて、その望みを諦めきれないことが伝わってきました。

読経中、わたしには目に見えない世界の中で、彼が白衣を着ている様子が見えてきました。そこで、わたしは言いました。

あなたにパイロットになる未来はないようですよ

彼の持って生まれた役割は、口に入るもの薬か食べ物かはわかりませんが、それについて研究し人のために役立てることのようでした。これは、サムシンググレートな存在が教えてくれた彼の中にある「稟」だったようです。

彼の中にはまだ少し迷いがあるようでしたが、年齢の割には、しっかりとした考えを持った人のようですので、前向きに検討してくれるのではと思っております。

ちなみに、彼には他県の全寮制の進学校より、地元の学校の方をお勧めいたしました。

まとめ

わたしの娘も住職より見通して頂いた【稟】に従って、それを目指して大学に通っています。

世の中には、個性の尊重、努力によっては何にでもなれるといった風潮があります。努力は必要だと思いますが、方向を見定めることも大切です。

日本には、「分を知れ」という言葉があります。

いつしかこの「分を知れ」という言葉は悪い意味に使われ、人の持つ可能性を否定するものだと誤解されるようになりました。

「やればできる」とは説得力のある言葉にも聞こえますが、一方で非常に無責任な言葉です。分を超えて、過度に背伸びして生きても、自分を苦しめる結果に繋がってしまう可能性があるからです。

それは、ある意味つまらない人生かもしれません。それでも、わたしは、自分の分を知り、身の丈に合った仕事をして、この世での役割を果たすことが大切だと思っています。

自分の分を知り稟に潜むこの世の役割を見出す

「稟」という漢字には、なべぶた冠があるように普段は隠されて見えないものです。なぜ隠されているのかはわかりませんが、この「稟」に従って生きていけばサムシンググレートな存在から加護を受け、幸せな人生を歩むことができます。

植物は、自分が持って生まれた役割が当たり前のように果たせます。わたしたちも、自分だけが持つ花を見出して、ぜひそれを咲かせたいものです。

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