はじめに
例年、お盆が過ぎてから9月のお彼岸までは、供養にあずかれなかった「目に見えない人々」が溢れ、彷徨いやすい時期に入ります。
ところで、みなさんは「ポルターガイスト現象」をご存じでしょうか。
わたしの世代だと映画作品を思い浮かべる方が多いと思いますが、Z世代移行の若い世代にとっては、この言葉に触れる機会も少なく、「何かの自然現象かな?」という程度の認識かもしれません。
わたし自身も、この映画が公開されてはじめて「ポルターガイスト」という言葉を知りました。
ドイツ語で「騒がしい霊」という意味で、突然原因不明の物音が起きる現象を指します。中には純粋な物理現象のケースもありますが、多くは目に見えなくなった、かつて人であった存在が起こしていると考えられます。
わたしもこれまでに何度も経験してきました。
気づいていないだけで、案外多くの方が同様の現象を体験しているかもしれません。
自分が死ぬことを想像するのは難しく、「明日は我が身」と思い返すことはなおさら難しいものです。
今回は、ポルターガイスト現象とともに、そのことを考えさせられたひとつのケースをご紹介したいと思います。
看護師さんのケース
きっかけ
わたしが属していた寺院への相談の中でも、ポルターガイスト現象がきっかけとなるものは少なくありません。
生活に支障がない程度であれば、「何だろう?」と首をかしげて終わりますが、
一日中続いたり、就寝時に繰り返されたりすると、さすがに無視できません。

筑後地方にお住まいの、ある看護師さんのケースもそうでした。
これは、看護婦さんの担当だった僧侶から伝え聞いたお話しになります。
夜、寝ようとすると台所のあたりからガチャガチャと物音が鳴り始め、ひどい時には朝まで鳴り止まない。
さらに、その頃から看護師さん本人の体調不良も続いていたというのです。
原因と対処
長時間にわたり音を立て続ける場合、その霊は生前女性であることが多いと感じます。
生前が男性の場合、物音は大きいものの、比較的「単発」であることが多いようです。
いずれにせよ、物音を立てている意識存在は——
「ここにいることに気づいてほしい」
「この彷徨う苦しみを何とかしてほしい」
という思いから、供養を訴えていると考えられます。
この看護師さんの場合、霊が訴えている対象はマンションそのものではなく、
看護師さん本人の家系や過去からの因縁に関わる存在とのことでした。
そこでまず、霊のこころを落ち着かせるために、部屋の一角に小さなスペースを設け、
毎日お茶と水をお供えして手を合わせるようお伝えしたということです。
対象が「場所」ではなく「本人」に関わっている以上、
本人の意思による供養の姿勢が必要だからです。
看護師さんのその後
数ヶ月後、経過を伺おうと連絡してみましたが、
すでに看護師さんは引っ越された後で、その後の様子を知ることはできなかったそうです。
しかし、あの霊は看護師さん自身の因縁に結びついていますから、
たとえ住まいを変えても「一緒について行く」可能性が高いと考えられます。
担当者も、苦しんでいる「かつて人だった者」に対し、
少しでも憐れみの心を向け、手を合わせてほしかったと残念がっていました。
お茶と水を供える程度の手間は、引っ越しよりもはるかに軽いはずですから。
しかし結果として、その方にとっては、
**供養の一手間よりも、引っ越す選択のほうが「楽」**だったのでしょう。
おわりに
目に見えない世界への想像力が乏しいと、
人は「時間」と「場所」を、目に見える世界の尺度だけで考えてしまいます。
場所を変えれば終わる、時間が経てば薄れる——
そう考えがちですが、因縁に基づく存在にとっては、そう単純な話ではありません。
身寄りもなく、突然の死を受け入れられず、彷徨うしかない心情に、
少しでも思いを馳せることができたなら、
お茶一杯、水一杯を供えることなど、造作もない行為のはずです。
きっと同じ現象は、引っ越し先でも起こるでしょう。
そして今度は、誰かの紹介で霊媒師に「お祓い」を依頼するかもしれません。
しかし一般的なお祓いでは、
対象の意識存在そのものを傷つけてしまうことがあります。
その場合、その「しっぺ返し」は、体調不良だけでは済まないかもしれません。
わずかな手間を惜しんだ代償が、
思いもよらぬ形で自分に戻ってくることがあるのです。
寄る辺なく漂うその姿は、明日の自分の姿かもしれない。
霊など非科学的だと切り捨てるのは簡単です。
けれども、少しだけ想像力を働かせてみてください。
生きていようが、すでに命を終えていようが、
「苦しんでいる者の側に立って考える」ということ。
それは、この世とあの世を問わず、
人として忘れてはならない姿勢なのだと思います。





