「在る」を見失ったわたしたちが出来るもうひとつのこと

目次

はじめに

前回の記事で、現代人がタイムラインに引きずられることへの警鐘と、「為す」から「在る」へのパラダイムシフトの提案をしました。

わたしのスマホは、相変わらず机の上にありますが、妻子は日々スマホを手元に毎日を過ごしています。

スマホをじっと見つめているからと言って、妻や娘が、SNSに没頭しているわけではないでしょうが、大半のトレンドの多くがSNS関連である以上、相当数がこのような「スマホの中の更新生活」にあるといっても過言ではないでしょう。

今回は、SNSへフォーカスして、3つの「在る」を取り戻す実践に加えて、もうひとつ「視点の転換」として、簡単な手法を紹介しています。最初に、少し極端と受け止められるかもしれませんが、自分がSNS生活を営んでいるという仮想視点に立ってみましょう。

スマホのある生活

朝、目が覚めてまずスマートフォンに手が伸びます。夜、眠る前に最後に見るのもスマートフォンの画面です。その間、わたしたちは何度タイムラインを更新したでしょうか。

流れてくる情報には賞味期限があります。昨日話題だったことは今日にはもう古く、今日のトレンドは明日には忘れられています。わたしたちはその流れに乗り遅れまいとして、絶えず画面を追い続けます。

そうしているうちに、ふと気づくのです。「今日、何をしていたんだろう」と。

「何をしたか」で一日を測る習慣

現代社会では、一日の価値は「何をしたか」で測られがちです。

どれだけのタスクをこなしたか。どれだけの情報をインプットしたか。どれだけの「いいね」を押し、どれだけのコメントを返したか。SNSはその傾向をさらに強めます。タイムラインは常に新しい刺激を供給し続け、わたしたちは「何かをしなければ」という焦りに追い立てられます。

こうしてタイパ・コスパの価値観が醸成されてきたわけです。

反応すること、発信すること、関わること。すべてが「為す」ことです。そして「為す」ことが多いほど充実している、と私たちはいつの間にか信じるようになりました。

けれども夜、布団に入ったとき、妙な空虚感を覚えることはないでしょうか。確かに忙しかった。確かに色々なことをした。なのに、何かが足りない。その「何か」の正体を、わたしたちはうまく言葉にできません。

わたしたちが見失っているもの

「為す」ことの反対に「在る」ことがあります。

何かを成し遂げることではなく、ただそこに存在していること。何かに反応することではなく、ただ自分自身として在ること。仏典の言葉を借りれば、絶え間ない「行為」の連鎖から離れて、ただ「存在」に立ち戻るということです。

譬えるなら、「為す」ことが上空を飛び続けることであるとすれば、「在る」こととは、地上にある「自分」という着地点だと言えます。

タイムラインを追い続ける生活の中で飛び続けていると、わたしたちはこの「在る」という感覚を少しずつ見失っています。常に何かに反応し、常に何かを追いかけ、常に何かをしている。自由な空間に彷徨い続けている内に「自分」という着地点がわからなくなっていくのです。

空虚感の正体は、おそらくここにあります。「為す」ことをどれだけ積み重ねても、「在る」ことが抜け落ちていれば、一日は満たされません。

「どう在ったか」で振り返る

一つの提案があります。

夜、一日を振り返るとき、「何をしたか」ではなく「どう在ったか」と問いかけてみてください。

今日、自分はどんなふうに在っただろうか。慌ただしく在っただろうか、それとも落ち着いて在っただろうか。誰かと話しているとき、その場に在っただろうか、それとも「こころ、ここにあらず」だっただろうか。

最初は答えが出てこないかもしれません。「在る」という感覚自体が、わたしたちにはすでに馴染みの薄いものになっているからです。けれども問いかけ続けることで、少しずつ感覚が戻ってきます。

瞑想など大層なことをせずとも、ただ思い返してみるだけです。最初にお断りしておきたいのは、この問いには正解がないということです。

「穏やかに在った」日が良い日で、「慌ただしく在った」日が悪い日というわけでもありません。ただ自分がどう在ったかを眺めること。それだけで十分です。

まとめ

「どう在ったか」という問いは、やがて日中にも広がっていきます。

タイムラインを追いながら、ふと気づくのです。「今、自分はどう在るだろうか」と。焦っているな、と気づく。何かに追い立てられているな、と気づく。気づいたからといって、すぐに何かが変わるわけではありません。けれども、気づくことそのものが「在る」ことへの第一歩です。

「為す」ことを減らす必要はありません。SNSをやめる必要もありません。ただ、「為す」ことの合間に「在る」ことを思い出す。それだけで、一日の質感は少しずつ変わっていきます。

そして、「在る」ことが、自分の中で基本姿勢になった時、次の扉が開いてくるのです。

早速、今夜、眠る前に試してみるのはいかがでしょう。「今日、わたしはどう在っただろうか」と。

この記事に少しでも共感出来たなら1Clickお願いします。

ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキング
目次