はじめに
タイムラインに流れ続ける情報が人のこころまで煽り立てる光景は、成熟した市場経済と三十年のデフレをくぐり抜けた日本が、ついに辿り着いた、効率を極限まで追い求める社会の姿です。
前回の記事でタイパ・コスパは、個人の問題ではなく社会全体が醸し出している構造だと述べました。

タイパ・コスパの先には、もうひとつの課題が浮かび上がってきています。それは、このような性質を持った現代社会では、「何をしたか/為したか(Doing)」の効率を問い続けていくことになる点です。
この状況を象徴するように、「自分はまだ何も成していない」という感覚にとらわれる人は決して少数ではなく、自己啓発や自分探しの旅を終わりなく続けています。
人間的な余裕は「どう在るか(Being)」という地平にしか存在しません。
なぜ、自分の「在る」を取り戻す必要があるのでしょうか。それは、こころが安らぐ日々、わたしたちが「幸せ」と呼んでいるものが、この 自分の「在る」 を取り戻していく、その先に自然と現れてくるからです。
今回は、このような社会構造のもと、個人が社会に飲み込まれることなく、自分の「在る」をどう取り戻していくかについて考察していきます。
現代の社会構造の再確認
近代社会が「為し続ける主体」を必要とするのは、何も人を支配したいからではありません。
「止まれない構造そのものが、止まらない人を必要とする」からです。この社会構造が個人の生き方を左右するまでに及んできていると先だっての記事で考察しました。
近代社会が必要とする主体像と、人間の実態には、決定的なズレがあります。このズレこそが、現代の「構造的な苦」を生み続けているのです。
経済学者の予言
経済学者のカール・ポランニーが著書『大転換』の中で「悪魔のひき臼(satanic mills)」と表現し、市場経済がすべてを商品化して粉砕していく過程を描いていました。
ポランニーは、商品化してはならない最後の砦として、三つの「擬制商品」――「貨幣」「土地」、そして「人(労働)」――を挙げました。これらを商品として扱ってしまえば、市場経済は歯止めを失い、人間性や自然、さらには社会そのものの破壊へと突き進んでしまうと考えたからです。
現在では、「人材」という一見耳当たりのよい言葉によって、「人」は事実上、商品として扱われています。そればかりか、現代社会はこの三つすべてを商品化し、市場に流通させる段階にまで至っています。
この社会に漂う居心地の悪さの背景には、ポランニーが予見した通り、人が粉砕され、人間関係や伝統的な生活の基盤が損なわれてきたことがあるのではないかと、わたしは考えています。
さて、このような現代社会において、わたしたちは何ができるのでしょうか?
解放の試み
初期仏典をひも解けば、「何もしないこと(無為)」の中にこそ、苦しみからの解放があることを示唆しました。すなわち、「何かを成さなくてはならない」という現代社会が無意識に要求してくる命題は、「何もしないこと(無為)」の向こう側にあって、結局「苦しみ」を増幅していってしまうのです。
現代における「何もしない」は、外部から押し付けられた「価値を生み出せ」という強迫観念(渇愛)を、一時的に断ち切らなければならない思い切った決断だと言えます。
初期仏典の「為そうとするこころが止んだところに解放がある」とは次の3つの強迫観念を抱かないということです。
「~しなければならない」
「~であるべきだ」
「~を成し遂げねばならない」
作為的緊張が完全にほどけた状態を、仏典では涅槃の性格として描いています。わたしたち凡夫が、たとえ涅槃にまで至らなくても、この姿勢は「苦からの解放」という方向においては出発点となります。
まとめ
「ああ、ゆっくりしていて良いんだ…」とは、「怠け者」と自他ともに捉えられがちです。それが怠惰であることとは違うのだと、どこかで意識しながら、人が社会の偏った潮流にすべて飲み込まれてしまわないための、最後の小さな余白を、私たちは意識的に保っていく必要があります。
この具体的な方法として、3点提案してみたいと思います。
- ◇「成果に接続しない時間」をあらかじめ確保してみる
-
最も重要なのは、役に立たないことが最初から前提の時間をつくることです。ポイントは「空いたらやる」ではないこと。週に一度、30分でも良いでしょう。何もしない、誰にも報告しない時間を先に確保します。その際、その確保した時間に回復、充電、自己投資などと目的すら後付けしないこと。
- ◇行為を「数値化できない形」で残してみる
-
たとえば、目的のない散歩、単に読むという行為の先にある読書、記録しない運動、こうした歩数や時間、成果等、測られない行為は、「在る」への視線を確保していく方法です。
- ◇反応の即時性を控えてみる
-
即レス、即判断、即行動は、社会にとって都合のよいリズムです。これに対して個人ができるのは、「すぐ返さない」、「すぐ決めない」、「すぐ動かない」という「遅れ」をわざとつくることです。
具体的には、通知を一日三回だけ見たり、返信は一晩寝かせたり、その場で結論を出さないこと。
現代人は、常に自分の行動を説明できる状態を求められます。なぜそれをしているのか、それは将来どう役立つのか、そうした意識から一度降りることが肝要です。最初は何となく落ち着かない気持ちがするでしょう。その「落ち着かいない」という感覚は、「囚われていた」=「社会の一方的な流れに取り込まれ流されていた」実感なのです。
わずか、これだけの「無駄な時間」を意識的に作っていくことは、自分が「在る」を取り戻していくきっかけになります。




