『PERFECT DAYS』に観る、暮らしに“間”を取り戻すということ

目次

はじめに

日々の生活が、気づかないうちに「途切れなくつながってしまっている」ことが増えています。
スマホの通知、SNSのタイムライン、絶えず更新されるニュース。
どれも便利で刺激的ですが、その分だけ自分のこころがどこに立っているのかを確かめる“間”を失わせていきます。

ある映画を観たとき、その感覚が強くよみがえりました。
ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』です。
彼の代表作のひとつでもある「ベルリン・天使の詩」をご覧になった方も多いのではないでしょうか?

『PERFECT DAYS』は、外国の映画ではなく
東京でアパート暮らしをしている
老境にある日本人の何気ない生活を描いています。

作品そのものの内容にはネタバレになりますのであまり触れませんが、
主人公の厳密にルーティーンをこなす日常を眺めていると、
知らないうちに自分で“間”をつくって生きている様子が見て取れます

主人公の生活は、どこかお寺の作務を思い起こさせます。
お寺での作務は、生活全般の中に”間”を作っていくのが修行のひとつです。
禅寺の整えられた生活スタイルが象徴的ですね。

“間”とは、単なる休憩ではありません。
外側の情報から一歩引き、いま自分がどう在るのかを感じるための、ささやかな呼吸の場所です。

しかし現代社会では、この“間”が驚くほど失われています。
だからこそ、自分の生活の中に意図的に“間”を挿し込む工夫が必要になってきています。

今回の記事では、その具体的な方法や小さな習慣、
そして仏典に見える“間”の智慧にも軽く触れながら、
現代における「静けさの取り戻し方」 を考えていきたいと思います。

情報が途切れない生活は、「こころの反応速度」を速めすぎる

SNSの通知、メッセージの返信、ニュースの連続更新。
便利さの裏側で、わたしたちの「こころの反応速度」は年々速くなっています。

  • すぐに返事をする
  • すぐに調べる
  • すぐに反応する

この「すぐに」は、確かに効率的です。
しかし、同時に “間”を奪い、こころが呼吸する余地を消していく 危うさも抱えています。

人は本来、外界の刺激と自分の反応のあいだに小さな“間”を置くことで、
過剰な反応や思い込みから自由になれる生き物です。

仏典の中でも、この点を端的に示す一句があります。

「こころは、静まるところで、はじめて正しく見る。」
(※『ダンマパダ』より意訳)

「間」はこの“静まるところ”を、現代の生活の中に取り戻す試みとも言えるでしょう。

“間”は大げさな修行ではなく、毎日の小さな動作から生まれる

わたしたちはよく「こころを整える」と聞くと、
瞑想・深呼吸・習慣改革など、特別なプログラムを想像しがちです。

しかし『PERFECT DAYS』が気づかせてくれたのは、
普通の生活の中の小さな所作にこそ、“間”は宿りやすいということ。

画像はイメージです。

時間をかけなくても、特別な知識がなくても、
日常の中で“間”をつくる工夫は十分に可能です。

たとえば、こんなささやかな行為から始められます。

  • 朝、窓を開けるときの数秒に意識を置く
  • 家事の中で一つだけ「ゆっくり」行う動作を決める
  • 歩くとき、10歩だけスマホを見ない
  • 食器を洗うとき、最初の一枚だけ丁寧に洗う
  • コーヒーを淹れる時間を“生活の区切り”にする

これらは、どれも修行的ではありません。
ただ、外側の速度に引きずられない“間”を生活の中に育てるための小さな工夫です。

「間」が生まれると、こころの構造そのものが次第に変化する

間をもつ生活を重ねていくと、こころの反応にも変化が生まれます。

  • すぐ怒らなくなる
  • すぐ焦らなくなる
  • すぐ比較しなくなる
  • すぐ不安に飲まれなくなる

これは精神論ではなく、
刺激 → 反応 の距離が自然に伸びることによる変化です。

仏典には、こんな短い一節があります。

「すぐに動くこころは、すぐに乱れる。」
(※出典意訳)

現代は“すぐに動くこころ”を当たり前にしてしまう環境があまりに多いと感じています。
だからこそ、意図的に“間”をつくっていくことが自分を守る術になるのです。

映画が教えてくれたのは、“間”を奪う世の中でも、自分でつくり出せるという事実

『PERFECT DAYS』は、何かを教訓として語る映画ではありません。
それでも、淡々とした生活の積み重ねが、

「間を持つとは、こういうことか」

という気づきを呼び起こしてくれます。

そこには、特別な修行も、難しい哲学もありません。
静かに繰り返される変わりのない生活”の中に、
人は自然と整っていくものだということを気付かせてくれます。

今の社会は、わたしたちから“間”を奪う方向へひたすら進み続けます。
だからこそ、
“取り戻す”という能動的な姿勢が必要になっていると感じています。

SNSや情報の波に溺れない「自分軸」を育てていくのです。

おわりに

わたしたちの生活は、便利になったぶんだけ、
自分の内側を感じるための“当たり前の一秒”を手放しつつあります。
そのことに気づかないまま走り続けてしまうと、
あるとき突然、こころがどこかへ置き去りになっていることに気づきます。

だからこそ、意図的に“間”を生活の中へ挿し込むというのは、
今の時代におけるひとつの 「自分を守る生活技法」 と言えるのかもしれません。

仏典には、こんな短い一句があります。

「静まったこころは、静かな場所をつくる。」
(※意訳)

これは、こころが落ち着いているから静けさがあるのではなく、
静けさを先につくるから、こころが静まるのだ という逆説を示しています。
その“静かな場所”こそ、わたしたちが日常に取り戻すべき“間”なのでしょう。

映画『PERFECT DAYS』には、
その「静かな場所」をどうやって育てていくかの具体的な答えは書かれていません。
しかし、主人公の日々に流れる一定の律動は、
どんな生活の中にも“間”はつくり得るのだと、示しているように見えました。

あなたの生活には、いま“間”がありますか。
朝の数秒でも、夜のひと呼吸でもかまいません。
その小さな一瞬が、外の情報に引きずられない 自分だけの場所 を育ててくれます。

慌ただしい日々の中で、ほんの少しだけ立ち止まる。
その静けさが、暮らしそのものを静かに変えていきます。

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