はじめに
このブログを読み進めていく内に、これから瞑想で行でもはじめてみようかなと思っている方に、前もって知っておいてほしいことがあります。それは、今回取り上げている呼吸についてです。

瞑想と呼吸とは、密接に関係しています。瞑想と一緒に呼吸もやれば良いのでは、と思うかもしれません。それは、普段の生活の中で、集中力を高めたり、ストレスを軽減等したりするために行う瞑想法の場合です。
このブログで推奨しようとしている瞑想法は、いつの日か解脱したいと願う方のための踏み出す最初の一歩です。そのため、呼吸の方法は前もって身に付けておく必要があります。
一方で、呼吸を習得してからとなれば、時間も掛かるし、瞑想を始めるタイミングも失ってしまいます。そこで、同時進行でも構わないのですが、瞑想と呼吸とは別であることを予め知っておいてほしいと思っています。
今回のお話しする呼吸の方法は、何ら特別なところもなく、どこにでも書かれているだろう内容です。誰でもどこでもいつからでもできるのですが、続けるとなるとなかなか難しそうです。
その前に、わたしが呼吸に至った経緯と、なぜ行を進めるに当たって、呼吸が大切なのかを解説したいと思います。
呼吸について
呼吸と健康
瞑想とは別に、呼吸は、健康にも深く関わっています。わたしの特技のひとつに、その人の呼吸の仕方を見れば、おおよそですが、将来罹患しそうな病気が分かることがあります。
また、不幸な出来事に直面していたり、お酒やギャンブル等、何かに溺れていると、呼吸が早く浅くなってきます。すると、次第に健康まで害すようになります。
例を挙げればキリがありませんが、みなさんが思っている以上に、「呼吸する」という行為は、健康に深く関わっているのです。
わたしが、これまで、遺伝性の病を除いて、大病ひとつしなかったのは、呼吸のお蔭だと思っています。
きっかけ
わたしが、最初に呼吸を意識しだしたのは、大学の教養課程におけるドイツ語の授業でした。
年配のドイツ語の教授は少し変わっていて、ドイツ語とは別に、よく雑談をされていました。例えば、「人の体は、週に4日休んで、3日ほどの就労が向いている」、そんなたわいもないお話しです。
その授業の中で、教科書としていたのが、作者も出版社も覚えていませんが、呼吸法が書かれたドイツ語の古い文献でした。その文献から初めて知ったことが、吸う息と吐く息を意識することです。
引きずられているもの
こころの曇り
前回のブログの中で、人は前世から身・口・意の曇りを引き継いでいるというお話しを致しました。
もっと細かく言えば、口に入れるもの、耳で聞くもの、鼻で嗅ぐもの、その一つ一つに、自分の個性、傾向があります。
これらは、口に入れようとするもの、耳で聞こうとするもの、鼻で嗅ごうとするもの[鼻は、<鼻が利く>の譬えのように、行動にも関連しています]と能動的になると、さらに各個人の古くからの因縁が絡んできます。
日常当たり前に営んでいる基本動作は、個人差はもちろんありますが、基本的に天に則したものではありません。この事実は、とても不思議に感じられるでしょう。毎日、当たり前にしていることですから。
こころの思いは、傾向から嗜好、さらには思考となり、自分の持って生まれた因縁を基に形成されていきます。身・口・意の曇りとは、その道筋に宿っていて、その人なりの人生における解答をもたらしていきます。
触れられないもの
身・口・意における曇りは、人生における数限りない選択の積み重ねに絡(から)んでいます。例えば、皿をたくさん重ねていくと、たとえズレずに重ねている気であっても、次第に歪んでいくように、自分では真っ当に人生を進めている気になっていても、どうしてもズレていくのです。

このズレは、わたしの出家した法華経界での用語で言い換えれば、罪障となります。法華経系の寺院では、罪障消滅と謳っているものの、罪障とは、結局前世から持ち越している縁を今世にて結んだ結果です。
楽しい人生か、はたまた苦しみに満ちた人生であるのか、すでに結果は出ていて、まさに今世で進行中なのです。神通に秀でた者が、神力に頼んで修正するにも、上辺だけで終わってしまいます。
慈悲もなく残酷に聞こえてしまいそうですが、今まさに、自分の人生が苦しみに満ちているのであれば、ただ苦しみに耐えて、来世に向かって進むしかありません。
このように、過去の縁が起こした事象は、「正しい」とか「間違っている」とかでは計れない、触れることが出来ない複雑で深淵な世界なのです。
呼吸の可能性
前節で述べた身・口・意の中で、罪障に左右されることなく、唯一思い通りになるものがあります。それが今回の呼吸です。その最初の出発点が、呼吸を意識することです。
わたしたちは、特段、呼吸疾患等なければ、意識することなく呼吸をしています。どれだけ吸ったか、どれだけ吐いたかなど考えることはありません。
呼吸とは、業に左右されることなく、自分の意志が通る数少ない根本動作です。行の観点から見れば、毎日いつでも始められ、場所も特定しない、とても貴重なプラクティスです。
呼吸は、その後の人生を変え、引いては来世を変えていくための有効で基本的な取っ掛かりとなります。
呼吸を意識する
お待たせしました。わたしの呼吸法をご紹介いたします。この呼吸法は、秘儀でも何でもなく、基本は吸った息と吐いた息を意識するだけです。
むかし聞いた言葉のフレーズに次のようなものあります。
吸った空気は神のもの、吐いた空気は自分自身
上記の言葉は、何らかの信仰を持った人にとって、呼吸を意識づける際に有効ですので、引用させて頂きました。もちろん、無信仰の方でもいっこうに構いません。行においては、信仰者、無信仰者は無関係だからです。では、呼吸の仕方の例です。
口からでも、鼻からでも構いません。呼吸は、腹式呼吸が良いでしょう。腹式が不得意であれば、出来なくても結構です。丹田、チャクラなど、余計なものを意識する必要はありません。
吸ってカラダに入ってくる空気は、神(仏、万霊、様々に変えて結構です)から与えられたものと意識します。無信仰の方は、カラダに入ってくる空気に対して、例えば地球の贈り物等、何らかの意味づけをしてください。その方がやりやすいためです。
ただ、無信仰者の方でも、この時入ってくる空気と同時に思っていて欲しいことは、今、生かされているということです。それが、空気というカタチとなって自分の中に入っているという実感を思ってください。
そして、吐く息は誰でもない自分自身に他なりません。自分の中に取り込んだ空気から、自分に必要な分をカラダに取り込み、吐いているのですから。
その時、出来れば、吐いて出ていく空気の先端を自分だと思って、こころの中でいつまでも追いかけてください。
これで一息となります。吸う息より、吐く息に、重点を置き、出来るだけ長く吐くこと。
週に一度、5分間ほど。慣れないうちは座って行っても良いですが、慣れてきたら、いつでも、どこでも、姿勢も気にしないで出来るようになりましょう。普段からいつでも出来る態勢でいることが肝要だからです。
まとめ
普段は普通に息をして構わないですが、何となく不安に囚われていたり、自分のカラダに何か違和感を感じた時、自然にこの呼吸を始めるようになりたいですね。
この呼吸が、いつでもどこでも無意識に出来るようになるには、個人差はあるでしょうが、まず3年はかかると思っていてください。
次回以降、ご紹介する瞑想による行の中では、瞑想中、呼吸を意識することはありません。今回紹介した呼吸が基本となるからです。慣れないうちは、呼吸と瞑想、同時進行で結構です。が、後日紹介する瞑想中は、呼吸のことは考えないようにしてください。呼吸を意識した途端、瞑想の目的が異なってしまうからです。
この呼吸を体得した時、自分の変化より前に、周りの状況の変化に驚くと思います。たかが呼吸ひとつのことで、周りの世界が変わっていく、その感動を共有出来たら幸甚です。