はじめに
また映画のお話しです。
1999年キアヌリーブス主演『マトリックス』をご存じでしょうか?
上映した年を調べて思ったのですが、マトリックスが20年以上前の映画になるなんて隔世の感がありますね。
のけぞりながら銃砲を避ける特撮シーンや、カンフーを取り入れたアクションシーンなど、当時話題となったSF娯楽大作です。この映画の背景にはキリスト教の物語が隠れていることは知る人ぞ知ることです。
それはストーリーや登場人物名にも表れています。
- 主人公のNEO(ネオ)がキリストを指す「The One」のアナグラム
- オラクル(預言者)が登場
- 主人公の仲間であるモーフィアス、トリニティという名は神を意味する単語
大体のストーリーは一介の平凡な青年ネオが、機械に支配され仮想現実に生かされている人の世の仕組みについて目覚めて、価値観を共にする仲間たちと人間復興を図るといった内容です。
今回の記事でのテーマは、この「目覚め」についてです。
この世における目覚めとは
わたしは、数十年に及ぶ資本主義社会の営みが、人を洗脳していると思っています。
ネットやテレビでは宣伝が点滅し、街を歩けば広告が目を引きます。多くの人々が、自分の人生における長い時間、それらに欲望を刺激されながら生活を営んでいます。これを洗脳と言わずして何というのでしょう。
一方で、こうして欲望を刺激しないことには成り立たない、資本主義という社会の仕組みの限界が見えてきます。人は人としての生き方を犠牲にして、社会的な生存維持を担保しているのです。経済優先か人の尊厳かでたびたび論争になることがその証左でしょう。
この世の仕組みを理解して、こころの修行へ舵をきっていくと、飛んでくる弾を避けたり自在に飛んだりできるようにはなりませんが、映画の主人公ネオの「目覚め」の感覚が良く分かってきます。
マトリックスに登場するサイファー
映画の中でも裏切り者として描かれているサイファーという人物がいます。彼も主人公のネオと同様、「目覚め」を経験したひとりです。にもかかわらず、バーチャルな世界だとわかっていても、ステーキの旨さや快楽を選んでしまいます。
マトリックスの中でのバーチャルな世界は、現実に置き換えるならば欲望に満ちた五濁悪世のこの世の中です。しかし多くの人々が、「そんなこと分かりきったこと」と言うでしょう。
欲望にさらされながら生きている自らの世界を知りつつ、のめり込んでしまっているのです。
そうして、マトリックスにおけるサイファーと同じように、無常で出来ているこの世の中で、ステーキを食らい快楽を貪り続けます。
目覚めとは、知ることではなく感得こと
おわりに
大切なことは、この世の仕組みが欲望を刺激している事実を知ることではなく感得ことです。知っている人は山ほどいます。
映画に描かれているサイファーの例は、現実社会の人々と同様、知っていただけに過ぎません。それははっきり言ってしまえば「目覚め」ではありません。
皆様も、きれいなファッションやおいしい料理を求めたいでしょう。欲望刺激社会を感得して楽しむことと、知っただけで没入することとは違います。
まず感得へと向かう智慧を得ましょう
智慧とは、どのようにすれば感得できるか、思い方や手法を学ぶことです。
全てのこころの機微は、薄皮一枚。それでも、そこに気が付くことさえ現代では難しくなってきています。