はじめに
前回、ポルターガイスト現象について看護師さんの例を挙げました。
結局、看護師さんにとっても霊にとっても、その未来は不安定なものになってしまいました。因縁というのは複雑で、この不安定な未来がどこまで波及するのか、はたして看護師さんだけの問題で留まるのか誰にもわかりません。
一方で、看護師さんが何もしないでいなくなった後のリスクは、当人ばかりではなく僧侶にも起こる可能性があることは、一般に知られることのない事実です。
僧侶のリスク
看護師さんの例で僧侶は、霊さんとの間に【取引き】または【約束】をしています。
看護師さんが、あなた(霊)を供養しますので、どうぞこの場を治めてください。
といった具合です。しかし、結果としてその約束は破られました。取引き不成立です。
現実の社会では、債務不履行ということで社会的な制裁もあるかもしれません。でも、これは目に見えない世界。供養せずに逃げてしまった看護婦さんに罪の意識などあるわけがありません。
一方で、目に見えない世界では、僧侶が社会生活における債務の連帯保証人と同じような立場であることは知られていません。当人が約束を守らないと連帯保証人である僧侶に、その保証被りが起こるかもしれないのです。
例えば、その霊が想像を超える強い恨みを看護師やその一族に抱いていたり、このケースでは違いますが、人霊ではなく神霊であったりすると、その保証被りの影響は甚大で僧侶の心身にも大きな影響が発生します。
そのため、体を壊して復帰困難になってしまった、わたしが出家した寺院の僧侶を何人も知っています。
おわりに
霊障(障り)の事例を引き受けるのは上記のようなリスクも覚悟する必要があります。
看護師の例は決して珍しいケースでもありません。平成、令和時代にあって、目に見えない世界の話しは、怖くて面白い寓話のひとつとなり、夏場のレクリエーションのひとつといった程度にしか、思われていない場合がほとんどだからです。
看護師さんにとっても、ポルターガイスト現象自体は目に見えていても、それが自分の問題として結びつかないために、自分に振りかかっていることに不条理にしか感じられていないかもしれません。
そこで、お茶水で供養など、めんどくさいと思うのも仕方ないのでしょう。
人々の想像力は衰え、目に見えない世界はさらに遠くなり、人々と目に見えない世界との関係は、予想以上に混迷の一途をたどっているように思える昨今です。