目に見えない世界が教えてくれた子育ての視点 No.2

目に見えない世界が教えてくれた子育ての視点No.1

はじめに

前回の記事の続きです。

娘の過去を思い出してしまってちょっと力が入ってしまいました。娘の不登校をはじめ、ここでは書いてはいませんが、妻の入院やわたしの出家など人生で一番慌ただしかった頃でした。

気長に読んでいただければと思います。

娘の試練

まだ出家前だったわたしは、世間の価値観に囚われていました。

わたしの青年期に比べたら学歴重視の社会も、穏やかに変化はしてきていますが、それでもまだ学歴がものを言う社会です。

ある時は、学校に行けない娘に対して、学歴社会のレールから外れるリスクを語って聞かせてたりしていました。また、人生はいつでもやり直せるなどと、通りいっぺんの話しをしながら、娘の変化を期待していました。

しかし、何にでも楽しさを見つけて、笑顔ではしゃぎまわっていた幼い頃の面影は、もうどこにも見当たりません。疲れ果てている娘のこころには、どんな言葉も響かなかったのです。

目に見えない世界のはじまり

寺院には、娘の幼い頃から妻を通してご縁を得ていました。ある日、家族そろって参拝にいった寺院で、住職はまだ幼かった娘を一目見るなり、こう諭されました。

この子はとても傷つきやすく、割れやすいガラスのようなこころを持っているね。

当時は、娘がまだ幼かったために人ごとのように聞いていたのです。わたしは笑顔の消えた娘の横顔を見ながら、住職がむかし言ったその言葉をふと思い出していました。

彼女は、無意識の世界の中で、自分のこころの弱さを知っていて、わたしたち夫婦を選んで生まれて来たのではないのだろうか。そう、思い始めていたのです。

魂という言葉を使うのは、お釈迦さまも使われなかったようにあまり使いたくはありません。
しかし、肉体を持たない個々の意識を表現する一般的な他の言葉が見当たらないので、以後便宜上使わせていただきます。

ひとつの魂

その頃、わたしは様々な事情から出家していました。

出家はしたものの妻の入院や娘の登校拒否などがあって、住職には断って月の半分を実家に帰り娘や家事のサポートをしていました。

そうして、月の半分といえども、目に見えない世界に徐々に深く入っていくにつれ、この娘とわたしとは、別のひとつの魂であることが腑に落ちるようになってきていました。

言葉として認識することと、腑に落ちることとは違います。出家前のわたしは、ひとつの魂などといった概念を言葉の綾のひとつとしてわかったつもりでいたように思いました。

娘の人生は娘のもので、本来わたしには手出し口出しできないものです。またいつか別の世界のどこかで会えるかもしれませんが、いずれこの世が終われば離れ離れなるのです。

しかし、ひとつの別の魂といっても修行半ばのわたしにとって苦悩する娘への煩悩を、すっかり払いきれるものでもありません。

ただ、一日中寝てはゲームをしているだけの無気力な娘を見るにつけ、このままでいいのだろうかという焦燥感から、どうしてもこころは乱れがちになってしまいます。口には出しませんが、わたしの乱れたこころは自然と娘にも映り、娘自身も自分のどうすることもできない不甲斐なさに苦しんでいたのだと思います。

そんな目に見えない各人のこころの影響が、家庭の中に暗い影を落としていました。

祈るということの大切さ

そんなときわたしは祈ることが出来ました。

みなさんも困ったときの神頼みではありませんが、仏や神社に祈ることもあるでしょう。至極当たり前のことだと思われるかもしれません。しかし、一般的な神や仏は遠い存在で、わたしたちのことを知る由もありません。

一方、寺院の脇神はこの不浄の世界まで下りてきてくださり、わたしや家族のことをよく知っています。祈りが届こうが届くまいが関係ないのです。

ただ、わたし泰清という名とその個性や生き様をすべて知っていて、鞭まで振るわれるような関係である神が存在し、わたしの祈りに傾聴して頂いている。それは、わたしにとって何よりこころの支えとなりました。

そして、お釈迦さまの説かれたこころの修行に立ち返って、ややもすれば暗闇に落ちていきそうなこころを支えながら、迷い続ける娘を静かに見守り続けることができたのです。

娘の卒業式

夫婦ともに中学卒業はともかく高校中退は覚悟していました。卒業まじかになるとさすがに高校だけは出ておいてほしくて、出席時間数や取得単位をにらみながら、一方でフリースクール等を探していました。

ところが龍王様(娘の守護神は吉祥弁財天龍王様です)の守護もあってか、ギリギリの出席数、ギリギリの単位数で奇跡的に卒業することができたのです。

仲の良い娘の同級生が、

何しれーっと卒業式に出てんの?

と笑いながら娘をからかっていました。それまで、繰り返された四者面談の中で退学を促していた校長先生も、開校以来はじめてのケースだと驚いていたようです。

担任の先生をはじめ、保健室登校でお世話になった看護師さんや遅刻の常習から親しくなった守衛のおじさん、事務の関係者の方々も、これまで支えて下さり、そして卒業を祝福して頂きました。娘の選んだ学校は良い学校でした。

その後、娘は紆余曲折を経て色々迷いもありましたが、現在は自分で選んだ医療系の大学に進学し、バンド活動を始めたり、コスプレも楽しみながら、以前見せていた頃の笑顔を取り戻しつつあります。

住職からは、

目に力が出てきている。まだこころはガラスのままだから今後も気を付けてね。

と励まして頂きました。結局、夫婦にとっても娘にとっても、この試練は必然であって、人の世における修行の一環だったと思えるようになりました。

娘の人生の時間軸

結局、娘が自分を取り戻すために10年かかりました。体に受けた見えるケガ等と違って、こころに受けたキズは周りからは分かりづらいものです。

ストレスを受け流し、再び浮き上がるために要する時間は人様々です。

中には、見失った自分を少しずつ取り戻しながら、前に進むことが出来る人もいます。一方で、何らかのきっかけで自分を一度見失ってしまうと、それを取り戻すために長い長い時間を要してしまう人もいます。

人によっては事情も様々でしょうから、20年、30年、あるいは一生取り戻せないこともあるかもしれません。

おわりに

成熟した社会では、小中高などといった成長の節目がキッチリ決められてしまっています。社会で決められた節目に従って、次のコマに進めないと、あたかも脱落者のようなレッテルを張られがちです。そのため、親を巻き込んで、親も子も近視眼な対応になってしまいます。

人の成長する過程、特にこころの成長については人の数だけあって、その時間軸も様々です。

無理に社会の時間軸に当てはめてしまおうとすると、心身に負担がかかってしまう場合もあります。親としてできることは、社会の時間軸に囚われずに、社会と子供との時間軸の折り合うのを、長い目で見守るしかありません。

また、親と子の魂は、因縁で結ばれているとはいえ全く別のものです。子の人生に親がとやかく言っても仕方ありません。ただ自分自身や他人を傷つけないように、これも見守るだけなのです。

わたしは、寺院で修行しながら、娘をひとつの魂として目に見えない世界の視点を養うことができました。そして同時に、娘のお蔭で祈る大切さを悟り、思い換えをする智慧を学びました。

わたしも、自身のこころを娘に育てられたところがあります。

子育ては親育て

と俗に言われますが、本当にそうだと感じました。今では、娘にとても感謝しています。

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