釈迦– category –
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釈迦
塔を起てて供養せよ──「供養」の本義をたずねて
お釈迦さまの「塔を起てて供養せよ」は、魂の慰めではなく、法を生きる実践の指針である。供養とは、縁起の流れを自覚し、感謝と敬意を日々の行いに映すこと。 -
釈迦
なぜお釈迦さまなのか
誰でも一度は名前を聞いたことはあるが詳しくは知らない。お釈迦さまもそのうちの一人だと思います。なぜ、わたしがお釈迦さまを信奉しているのか、その訳について簡潔にまとめてみました。 -
釈迦
現代人の不安と無我―変わることを恐れぬこころ
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に象徴される近代的自我を見直し、お釈迦さまの仏説に基づく「無我」の智慧から、変化を恐れず生きる道を考察します。 -
釈迦
「仏教」として果たせなかったこと
この世界の仏教では、修行は信仰の先にあります。ところが、信仰とは、お釈迦さまの思想とは真逆の方向にあるのです。宗教とお釈迦さまの思想との関係を考察してみました。 -
釈迦
仏説の本質
仏教が宗教化して数千年。わたしたちは、仏教の本質を見通せない現状に気が付いてもいません。如何にこころにお釈迦さまの言葉を認知させることが出来るかで、二世の行く末が左右されます。 -
釈迦
無我とは ― わたしたちが今、すでに在る姿
「無我」とは、分かり難いこともあってか、お釈迦さまの教えの中でも論考の多い項目です。論述する必要性を感じているわけではありませんが、わたしが感得したことを書いておきたいと思いました。 -
釈迦
[文字]で残されたもの
お釈迦さまの思想は資料としてたくさん残っています。これら思想を文字として残すことについて考察してみました。 -
釈迦
「わたし」を取り戻す
西洋文化から芋ずる式に入ってきた個人主義。今やいかに情報をたくさん持ち発信するかに価値観は変化し情報主義とも言える世界が広がってきています。そんな時代において、なおさら「わたし」に立ち返って行く意義を考えてみました。 -
釈迦
「わたし」という幻想
普段改めて考えることない「わたし」について。お釈迦さまの教えの焦点であることは、知る人ぞ知ることです。今回は、この愛おしくもあり、煩わしいこともある「わたし」について改めて考えてみました。 -
釈迦
分岐点
インドにおけるヒンズー教のように、広がらなかった日本仏教。その衰退の要因と仏教の今後について考えてみました。
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